コーチとしてのアイデンティティ

2013年に2年間に及ぶ世界の旅から帰国をした。旅に出る前は、2008年からアメリカに滞在していたので、約5年間、日本を離れていたことになる。アメリカの大学院で臨床心理学を学んだ3年間、人生の本質に対する学びと経験を積む日々を送った。旅も、しばしば人生に喩えることが出来るように、出会いの中で自分を知る素晴らしい機会となった。そんな帰国した自分の目の前に立ちはだかったのが、日本の社会だった。
 
社会とどう繋がりなおすのか。社会と接点になるのが仕事だ。しかし、当時の自分の目に、日本の社会は、無味乾燥で本質と関係のない世界に映った。自分が本質を感じることのできない社会と繋がるための仕事って、いったい何なのだろう。社会に居場所のない日々が、1年半ほど続いた。
 
五里霧中にいる時に、あるクライアントとの出会いがあった。売上は数十億円、海外にも支社を持つベンチャー企業の経営者で、非常に優秀な方だった。引き受けたものの、迷いながらだった。コーチとして生きるのか定まっていない中で、毎月1回のセッションを続けた。果たして、自分で良いのだろうか…。「他のコーチを紹介しましょうか」と言う言葉が何度も喉から出かけた。
 
たった一人だけのクライント。彼がいるから、自分はコーチだった。“生き軸”が定まらない、五里霧中を歩きながらのセッションだった、と思う。もがく中で、また一人、また一人と、クライアントが増えていった。その出会いのプロセスで、プロフェッショナルとしての自覚と誇りが芽生えていき、今日を迎えている。ちなみに、その経営者とのセッションは今も続いている。彼も含めて、コーチとしての自分を“ある”、あるいは“いる”をせてくれているクライアントのみなさんには、ただただ感謝だ。
 
これまで、「GiFT partnersのコーチングは、ベンチャー企業の経営者のみが対象です」と絞ってきた。その理由はいくつかある。前職の経験から、経営陣や役員ではなく、経営者。それも創業の経営者と仕事をすることに興味と意義を感じていた。業界や規模を問わず、創業の経営者はすべてを自責で捉える清々しさがある。言葉に建前が無く、本音がまっすぐ伝わってくる。それぞれ多様な個性と魅力を持って、向き合っているとこちらが勉強になる。また、過去の経験から、サービスの受け手とお金の出し手は一致している方がシンプルでいいと感じていた。甘えが無くなる。経営者は組織の最終の意思決定者だから成果報告はいらない。良くも悪くも、“主観”の世界での勝負になる。その結果、コーチングを止めたければ、すぐに止めてもらえる。いや、いろいろ書いたけど、そもそもの理由は、クライアントをそんなに増やしたいと思っていなかったことが大きかったかもしれない。
   
だが、今は違う。
  
クライアントは、ベンチャー企業の経営者だけではない。もちろん彼らをメインとして、上場企業の経営者も役員も、社会起業家も、学校の理事長も、NPOの理事・事務局長も、与党の政治家もいる。毎月1回。90分から4時間、彼らと向き合う。ダイアログをする。コーチなのだから当たり前だと言われそうだが…、その道のプロフェッショナルである彼らにアドバイスできることは、ほとんどない。では、何をしているか。彼らの話を、聞いて、聴いて、訊く。浮かんできた問いを投げかけ、感じたことを伝え、更に深く聴く。それをログにまとめて、後日、送る。それだけだ。最近は、クライアント同士を繋ぐこともしている。コーチなので、それぞれのクライアントの興味関心や課題認識がよくわかっている。更に言うと、経営者としての彼らは、アドバイザーとしても非常に優秀だ。だから、相互に良い出会いとなり、良い対話が生まれ、良いアドバイスが飛び交う。
 
コーチは、多様な出会いと深い学びに溢れる素敵な仕事だと思う。しかし、その内容に、明確な枠組みや方法論があるわけでもない。名前が表に出ることもない。黒衣だ。だからこそ、クライアントが胸襟を開いてくれる。そこから生まれる対話から、気づきとシフトが起こる。その役割に、プロとして徹したい。