2021 年で、お付き合いが8年目になるクライアントがいる。売上は30-40億円のEC企業で、独創的な商品と取り組みで、その道では名の知られた経営者だけれども、表にはほとんど出てこない。軸がブレない。嗅覚が鋭く、マーケティングのセンスが長けていて、リスクヘッジの才に溢れ、思考と行動がとにかくスピーディだ。
その会社では、彼が感じる課題認識をテーマにして、毎年、1年間の全社的な取り組みを行っている。テーマは毎年変わる。2020年のテーマは「未来思考」だった。優れた経営者は未来を見据えて、会社の舵取りをする。今風に言えば、未来を描き、そこからバックキャスティング(逆算思考)をして、現在(いま)の意思決定をする。それが「未来思考」だ。
なぜ、「未来思考」だったのか。背景にあるのが、彼とNo.2以下の社員との乖離だ。彼が未来から発想したアイデアをバックキャスティングして指示をしても、経営チームや現場がその意味を理解できない。現場には、現場のロジックがあって、どうしても、そのロジックに引っ張られてしまう。現場は今の枠組みの中で最大限に効率の良い仕事のやり方を追求する。だから、その効率を阻害するような指示は、ノイズでしかない。ノイズは無視されるか、現場に都合の良いように解釈され、やがて消えていく。その結果、会社の変化対応力は落ち、革新性もスピードも失われていく。
この1年間、「未来思考のフォーマット」を作り、経営幹部に実践してもらい、更にはそれぞれの部門のメンバーにも実施してもらい、ダイアログを深めてきた。
結果は、散々だった。どんなに説明を尽くしても、未来の発想が現実に引っ張られる。クライアント自らそのシートを使って事例を示す。しかし、いざ実践してもらうと、「未来を予言するということでしょうか」との反応が返ってくる。いや、結果が散々だったというのは言い過ぎが。少なくとも1割は、未来思考が自然に出来ている。でも、圧倒的にマイノリティだから、彼らの声は“現実”を前にかき消される。
多くの経営者は未来(の社会)を見て仕事をしている。未来の変化をいち早くつかもうとする。そして、そこに向けて舵を切る。蛇足だが、彼らが見る・描く未来は、占い師の予言ではない。変化の風や種を現在(いま)に感じて、そこから未来の社会を想像して、その社会にあるべきサービスとは何だろうと思考して、そこに自社の強みとサービスの可能性を探り、現在(いま)に引き付けて打つべき手を打つ。その一方で、現場は、目の前の仕事や部下のモチベーション、お客さんを見て仕事をしている。効率よく仕事を進め、顧客とチームの満足度を高めようとする。今回がプロジェクトとして「未来思考」にフォーカスしただけで、実際にはどちらの思考も大切だ。
ダイアログを通して明確になったことを備忘録として挙げておく。
・未来思考のムーンショットは、“ムーン(を描くこと)”が難しい。描かれたものを”ショットすること”するだけなら出来る。そこから”バックキャストする”発想も理解はしやすい。難しいのはムーンだ。
・ムーンショットが得意な人は、会社や仕事ではなく、社会を見ている。こんな社会にしたい、こんな社会になったら面白い、この技術・イノベーションが広まったら、こんな社会になるはずだ。すると、その社会で必要になるのは…、という順番に発想をしていく。疑問を挟むより、相手の発想に自分の着想をアドオンしていく方が得意だ。
・「ムーンショット&バックキャスト」の対比語は、「ルーフショット&フォアキャスト」になる。大地から発想して、思考を論理的に積み上げていく。屋根ぐらいの高さまでしか行かないかもしれないけれども、そのプロセスはロジカルだ。その一方で、「ムーンショット&バックキャスト」は違う。ムーンショットされたものを逆算していっても、ロジカルに現在には結びつかないし、繋がらない。現実を無視して発想しているのだから当たり前だ。だから、途中でイノベーションが必要になる。ちなみに、イノベーションの一番ベーシックな意味は、「(意識して)違うやり方を試す」ということだ。
・全員が「未来思考」が出来てなくてもいい。地に足の着いた「現在思考・現実思考」も大切だ。
最後は、こんな話で結びたい。
実は、私の妻も、起業家だ。「グローバル教育推進プロジェクト」という教育団体を経営している。そして、典型的な「未来思考」派だ。彼女が、成功している経営者と著名な作家・冒険家、そして、起業家でイノベーション学科の教授の3人で「未来の話をする飲み会」を西麻布で企画した。深夜遅くに帰宅した彼女が、こんなことを言った。
「未来を話す会だったのだけど、みんな“現在(いま)”の仕事の話ばかりをしていた。最初はそれが不思議だったのだけど、すぐに気が付いた。自分も含めて未来思考の持ち主は、いま取り組んでいる仕事の話が、そのまま未来の話になるんだって。」