政治の世界のリーダーシップ

ご縁があって、政治の世界を生きる方にもコーチングをさせていただいている。
 
私は、政治の世界にはとことん縁がなく、その人と出会うまで、その世界には知り合いもおらず、恥ずかしながら興味も薄かった。コーチングの依頼を受けた時は、「すみません、経営者以外にやっていないので…」とお断りしたら、「国家を経営するのが政治家です」と言われて、お引き受けすることにした。それから、もう2年近いお付き合いになる。
 
自民党の評判は芳しくなく、「衆院選」が近いから、というわけでもないのだけど…、
  
私はその人を通して、自民党の中にも素晴らしい政治家がいることを知った。
  
その人は、多忙な中、毎月のセッションには万全の準備をして臨まれる。自分を掘り下げて、少ない時でA4用紙1枚、多い時だと4枚ぐらいの資料を作られる。自分と真摯に向き合い、弱さを見つめ、飾らずに素の自分を語る。国を憂い、今の政治に、ある意味、幻滅している。そこへの己の弱さ、無力感を嘆きつつもテーマを掲げ、取り組み、求められる以上の職責を果たしている。日本の未来にとって、とても大切な仕事をされている。だから、党の評判を超えて、その人には頑張って欲しい。心からそう思っている。
  
「経営者」と「政治家」は、「リーダー」という言葉で一つに括られがちだ。もちろん、本質は同じなのかもしれない。しかし、コーチングをさせて頂いて感じるのは、政治の世界では、経営の世界のロジックが通じにくいということだ。ビジネスの世界で経営者として名を馳せた方が政治家になっても、それほど大きな働きができていないように感じるのは、そこに原因があるような気がしている。
 
一つだけ紹介をしたい。
 
政治の世界には「選択と集中」の考え方があまり馴染まない。
 
例えば、経営者は、どのような事業をするか自分で選ぶことができる。マーケットを、顧客を、従業員を選ぶことができる。戦略を練り、経営資源をそこに集中させる。実際は、いろいろな制約があるので、そこまで自由を感じていないかもしれないが、政治の世界の住人から見ると、ビジネスは自由に選ぶことができる世界に映る。
 
政治家は、そうではない。選挙区には、老若男女、あらゆるレベルの社会階層の人がいる。一人一票の選挙を考えるのであれば、ターゲットを絞ることは難しい。18歳にも90歳にも魅力を感じるビジョンを描き、両者に”通じる言葉”で語り、それに応える政策を立案し、実施していくためには、かなりの熟練度がいる。そもそも、選挙区のニーズに応えることが、国会議員の仕事なのか、という本質的な問いもある。個人的には、国会議員の視線は、選挙区ではなく、国全体や世界に向いていて欲しい。
  
さらに、政治とは、「全体最適」を目指す社会的な営み、と言うことができる。「全体最適」を目指すから、政治の世界では”利害の調整”というリーダーシップが生まれるのだろう。その一方で、ビジネスが目指すのは「部分最適」だ。基本は、一部の消費者、一部のマーケット、一部の株主のための営みになる。
 
政治の世界でも「部分最適」のリーダーシップで、例えば、国民の一部、高齢者、富裕層、業界団体、あるいは、保守とリベラルのように社会の半分の最適を目指せばいいのであれば、もしかしたら明確で、力強いメッセージを発信できるのかもしれない。それは、多くの人が理想とする、わかりやすくて、ある意味、教科書的なリーダーシップだろう。でも、その先に広がる社会は、「部分最適」による”分断”、かもしれない。だから、日本の政界のリーダーは、最大公約数に向けて、抽象度の高い理念を謳い、国民生活に寄り添う気持ちを語り、目先の緊急性を要する課題への施策を訴える。あるかどうかは別として、長期的な国家繁栄のビジョン、それを実現していくための政策、時に痛みや我慢を伴うかもしれないチャレンジは前面には出てこない。
 
もちろん、優秀なリーダーとは、そこを超えていく、あるいはそれらを包含する存在なのだろう。その人にはそうあって欲しい、そうあり続けて欲しいと思っている。もちろん、そのために、コーチとしての自分をもっともっと高めていかなければならない、とも思う。