私ではなく、医療法人を経営するクライアントの話になる。
医者でもある彼は、地域医療の世界では知る人ぞ知るフロントランナーだ。彼のカバーしている領域は、非常に広い。医療を通しての”地域おこし”なので、通常の医療、在宅医療、介護はもちろん、医療的ケア児のサポートから公園の再開発のグランドデザインまでが、彼の領域に入ってくる。
ある時、セッションの中で「あなたが『地域医療』という時、どの程度の範囲をイメージするのですか」と尋ねてみた。「患者さんの生活圏です」というのが彼の答えだった。小学生であれば学区、お年寄りであれば町内、世界を飛び回るビジネスパーソンであれば、それは世界になるかもしれない。さらに、「昔、東京で働いていたことがあって…」となれば、その記憶の世界もその範囲になるらしい。そういう”全体像”から入って、治療にあたることが大切とのことだった。
医者である彼に、もし「枠」があるとすれば、出会う対象が「患者さん」ということ。つまり、何かしらの”不健康な人”たちに限られているということだった。
しかし、最近は、それさえも異なってきた。アスリートやアーティストなどの”健康な人”たちも、彼の対象に入ってきた。日本のある地域で、アーティストやサーファー、スケートボーダーを招致して、施設を整え、地域おこしをするプロジェクトが始まっている。彼の病院がそこと提携をして、医療やトレーニングを担当することになったのだ。
実際に、アーティストやアスリートたちは現地に住み始めている。アスリートは、18歳から22歳の若者たちで、パリ・オリンピックで金メダルを目指せる位置にいる。彼は、アスリートたちと接して、インタビューを通して、気づいたこと、驚かされたことが、いくつもあったとのことだった。
2つだけ紹介をしたい。
・一つは、多くの子たちが、医学的には、筋肉のつき方が非常にアンバランスなこと。例えば、ある選手は、背筋は通常の人の2倍あるが、腹筋は半分しか無い。その子は腰に問題を抱えていた。スケートボードもサーフィンも、遊びから生まれているし、みんな、遊びから始めている。部活動から始めたわけじゃない。好きでやっていたら、今のポジションにいた。そんな感じらしい。だから、朝8時から夜10時までスケートボードに乗っていても飽きない。ランチを食べていても、風向きが変われば、ご飯も途中でボードを担いで海に駆け出していく。確かに、東京2020オリンピックで活躍したのは、みんな若い人たちだった。ある意味、未だよくしなる若い肉体にかなり無理をさせる側面のあるスポーツではあるらしい。もし、彼らにトレーナーがついて、バランスのよい筋肉がついた時に、あのパフォーマンスが出せるのか。あるいは、今のような自由な空気感を出せるのか。彼にはそんなモヤモヤがあるとのことだった。
・もう一つは「自分で選ぶ経験」をほとんどしていないまま、今の年齢になった子たちが多いこと。全員が親の影響で、物心ついた時から、そのスポーツを始めている。好きでハマって、その道一本で来た。以前、陸連のダイヤモンドアスリート(将来、陸上界を背負って立つことを期待されて、陸連に選抜された高校・大学生のアスリートたち)の研修をお手伝いさせていただいた時にも、同じ印象を持った。彼らは物心ついた時から「走る・跳ぶ・投げる」が周囲より秀でていた。好きでそうして、褒められて、注目されて、気づいたらそのポジションにいた。もちろん、悪いことではない。しかし、怪我や何かしらのスランプが陥った時に、どうなるか。なかなか立ち直れない。あるいは、心酔したコーチや大人の言葉を頑なに信じて自分の選択ができない。将来、何かあって、その競技を離れることになった場合、それから先にもずっと続く人生の準備ができていない。
「金メダルを狙う子たちも、普通の子だった」というのが彼の感想だ。その年齢の子たちによくあるように、心身は揺れている。そして、そんな彼らを、競技者としてではなく人間として、コーチではなく信頼できる、人生経験豊かな一人の大人として(もちろん、医療者としても)支えていくのが、彼の仕事になる。適任と思う。