GiFT monologue-13「コーチングとファシリテーション」

約15年前、コーチングの大波から少し遅れて、ファシリテーションの小波がやって来ました。

「コーチングのスキルとファシリテーションのスキルには重なるものがある」「コーチングの世界には『グループ・コーチング』というアプローチがある」「コーチングの“集合研修”を手掛けていたコーチAのコーチ陣は、ファシリテーションにも長けていた」

以上のような理由もあり、前職のコーチAには、ファシリテーション研修への問い合わせもたくさんありました。実際に、そのプログラムを開発し、実施もしたのですが、そもそも、コーチングとファシリテーション(更には、グループ・コーチング)との違いは何なのでしょうか。あるいは、どう組み合わせることができるのでしょうか。

煎じ詰めれば、対象が一人であれ、グループであれ、「人をコーチする」と、「議事をファシリテートする」の違いです。前者の目的は「育成」にあり、後者の目的は「促進」にあります。

実は、私自身、プロフェッショナルとして、コーチングとファシリテーションの両方をしていて、ある状況下のファシリテーションに、個人的に、微かな違和感を覚えていました。どうしてだろうと考えてみると、どうやら、私には「育成」と関係ないファシリテーションは、“物足りない感”があるのです。語弊を恐れずに言えば、ファシリテーションには、参加者を「自分に向き合わせる」必要がありません。コーチングには、それがあります。グループコーチングにもそれはあります。自分のアイデンティティはコーチなのだと実感しました。

ところが、最近、よく使われる「場をファシリテートする」という風になると、コーチングとファシリテーションの境目はだいぶ消えていきます。『場』という概念が深遠で、場にいる個人も関係性も会話も雰囲気も、そこには全てが含まれてくるからです。その場の構成要素である「“対話”をファシリテートする」「“関係性”をファシリテートする」となると、個のあり方を扱ったり、そこに向き合う必要が出てくるのです。この先はまた別の機会に。