座禅

この11月から、北鎌倉の円覚寺の暁天座禅会に参加をしている。朝6時から7時まで。毎朝5時に起きて、円覚寺に向かう。平日は、おそらくは地元の方々が10人から15人ぐらい参加をしている。週末は、もう少し多くなる。会話はほぼない。担当の和尚さんは、毎日変わる。
 
実は、座禅の経験は、もう25年以上も前に遡る。東京銀行の新入行員として配属された福岡県の博多にある承天寺(じょうてんじ)にお世話になった。当時は、後に京都にある東福寺の館長になられた遠藤楚石老子がご住職だった。承天寺では、毎朝一緒に、週末には、許可を頂いた上で勝手にお寺に上がり込んで座らせて頂いた。銀行を辞めるまで3年間続いた。
 
ちなみに、遠藤礎石老子と横田南嶺老子は兄弟弟子で、その師匠は小池心叟老子になる。
 
その円覚寺館長の横田老子が、近著でこんなことを書かれていた。「仏教的な心の観察からいくと、人の心は、1秒の間に70数回も消滅を繰り返しているとされる」。
 
それと、もう一つ。

「我々の普段の心には、想いが想いを引きずるという働きがある」。つまり、ある一つのことを思う浮かべると、その思いに更に思いを重ねて、どんどん増幅をさせてしまう。それを膨らみに膨らませて、自分に制御できないほどの怒り、嫉み、妬み、憎しみの心にしてしまう。
 
であれば、ある思いが浮かんだ時に、それを、後に続かせることなく、その思いだけで切ることができればいい。できることなら、ある想念が最初に浮かぶ瞬間を掴みたい。それが、私自身の今の円覚寺での座禅のチャレンジになっている。
   
先日、あるテレビ番組で、マインドフルネスの専門家の大学教授が、こんなことを言っていた。うつ病は過去の「後悔」から派生することが多い。不安症は未来の「不安」から派生することが多い。だから、現在(いま)に注意を向ける。それがマインドフルネスだと。
 
座禅とマインドフルネスは違うのだが、以上を合わせて考えてみる。
 
後悔でも不安でも、その「想念(患いや囚われの元)」が過去や未来からやってくるのだとすると、心を常に現在(いま)に置くことができれば、平安でいることが出来る。と言っても、常に心を現在(いま)に置くことは難しい。想念が時空を越えてやってくる。だから、想念に気づいた時に、その連鎖を断ち切って、意識を現在(いま)に意識を戻す。現在(いま)に意識を戻すやり方が、「呼吸を意識すること」になる。
  
繰り返すと、「想念」が連鎖していることに気づいて、呼吸を意識して、意識を今に戻す。そのサイクルがなるべく早くなるようにする。心が1秒間に70回も消滅しているのであれば、そのチャンスは無限にある。そのための行(訓練)が、座禅になる。
 
では、それがコ―チングにどう繋がるのか。
 
何かを得ようとする目的を持つこと自体が、まったく禅っぽく無いことを重々承知しながら、敢えて言うと、クライアントの一つ一つの言葉に、きちんと集中し続けることができるようになる。クライアントの言葉や表情が刺激となって始まる自分の頭の中で生まれる思い込みや勝手な想起の連鎖に気いて、現在(いま)に意識を戻す。自分の思い込みやバイアスでクライアントの声を聴のではなく、クライアントの真の声を真に聴く。
 
そこから生まれる問いかけは、自然と本質に向かう。