セッションの録画

コロナ禍となって、全てのコーチングがオンラインになった。
 
コロナ以前は、圧倒的に”対面で行う派”だった。また、それを望むクライアントも多かった。しかし、今は全てのセッションをZoomで行っている。クライアントの中には、一度も直接お会いしたことのない方もいる。そういう状態が1年以上経つが、セッション自体にさほど不都合は生じていない。おそらくクライアントも同じだろう。今は、時間の融通が利きやすくなるなど、メリットを感じることの方が多いかもしれない。もちろん、コーチ(つまり自分)サイドとしては、想定していたオンラインセッションのデメリット(?)を補うために、コンピューター、マイク、カメラ、ライトに多少の投資はしたけれども。
 
さて、オンラインでコーチングを行うようになったことで、”副次的”に良かったと思うことがある。

最大の一つを挙げると、「セッションの録画」だ。クライアントの許可を取って、毎回そうしている。その一義的な目的は、ログを起こすためだ。GiFT parntersのコーチングでは、ログを大切にしている。セッション後にクライアントがログを読み返して、リフレクションをすることで、そこから新たな気づきを得て、自己理解に繋げて欲しいと思うからだ。
 
ログは、けっこう忠実に起こしている。もちろん、多少は編集をして文章の形に整える。すると、だいたいA4で20枚前後になる。それを毎回行う。
 
一義的ではなく、”副次的”と書いた。実は、ログを起こす時に、録画した自分のセッションをすべて見ることになるのだ。それが自分への強烈なフィードバックになっている。自分の質問、ペース、声のトーン、間、流れ、口癖、表情、話す、フィードバックetc、それらの質や量など、自分自身のコーチングについてたくさんの気づきがある。そして、気になるところは徹底的に修正する。

録画したセッションを見て、改めて感じるのは、クライアントが自身に深く潜って気づきを得るのは、必ずしもコーチが”良い質問”をするからではないこと。コーチの働きかけ、つまり介入というよりも、多くはクライアントが自らを深掘りしている最中に起こっている。

私がアメリカで学んだカウンセリングでは、「質問」は、カウンセラーによる”too muchな介入”という認識だった。質問はクライアントの自由なトークを奪うことになる。クラアイアントとカウンセラーという関係性の中で、カウンセラーの影響力は非常に大きい。カウンセラーの質問は、会話の方向性と文脈を決めてしまう。カウンセラーは、そのことに最大限に自覚的である必要がある。コーチにも同じことが言えるだろう。
 
”私基準”での理想のセッションとは、つまり、起こし甲斐があるログとは、それは、おそらく好みの問題かもしれないし、クライアントからはそうは思われていないかもしれないのだけれど…、それは「クライアントがモノローグのように語りながら、自らをどんどん深掘りして、気づきや洞察を自然に得ていくセッション」となる。

クライアントは、ある大きなテーマについて話す。でも、それは明確な場合も、そうでない場合もある。例えば、近況報告をしながら、そこに辿り着いていくこともある。コーチは、話を聞きながら、会話の底に流れている真の課題を推察する。いや、洞察と言えるかもしれない。その洞察から、そのテーマを深めていくための「問い」が立ってくる。それはコーチからの言葉で明示的に、あるいは、会話の流れの中で暗示的にクライアントに共有される。
 
そこからは、クライアントのモノローグになる。クライアントが自らを語りながら、問いを通して自らを深掘りしていく。
 
コーチは、最小限の頷きと邪魔にならない相槌を打つ。そして、クライアントに求められた時にだけ応じる。つまり、端的なコメントやフィードバックを伝える。そこを起点にして、クライアントは再び、自分語りのモノローグに入る。途中、コーチは、必要に応じて、クライアントが視点を変えながら自分を深めていけるような”質問”をする。ちなみに、そういう”質問”は、ログに書かなくても問題ないぐらいに「文章」への影響度は低い。ライブの「会話」への影響度は高いけれども。

コーチ(自分)の介入が多いセッションは、反省する。映像を見て、ログを起こしながら不甲斐なさを感じ、修正点をメモして、次回に臨む。