ストーリーの魅力

「2020年2月に入ってからスタートした樂焼の陶芸家である樂直入さんの『私の履歴書(日本経済新聞の朝刊)』が、面白くてたまらない」。
 
クライアントに教えて頂いてから、毎朝、読んでいる。確かに、毎回が面白くてたまらない!
 
知らない世界の勉強になるのはもちろん、文言にハッとして、文章に考えさせられ、紙面上はほとんどない行間に自分自身を振り返り、自分の奥にある何かを自分の言葉でつかむ。そんな時間になっている。
 
もちろん、『私の履歴書』にはたくさんの名作があるから、今回が特別、ということでもないのだろう。読み手の年齢、人生のステージ、仕事内容や興味関心などの関数によって決まるものなのだろうけど…、でも、とにかく面白い。それはなぜなのだろう。
 
このブログを書いている時点で連載の17回目が終わった。内面、関係性、表現者としての葛藤が、鋭い自己洞察のもと、赤裸々にそのまま真っすぐに書かれている。だから、使われる文章の主語は、すべて「私(わたし)」だ。当たり前のことのように聞こえるかもしれないけど、この社会で生きていて、「私」と言う主語を使って、感じたこと思ったこと考えたことを表現して社会と関わり続けている人は、いったいどのぐらいいるだろう。「我々は」「私どもといたしましては」「わが社は」etc、あるいは、主語を省いた話法を使いながら生きている人が圧倒的に多いのではないだろうか。
 
芸術家の話に惹かれるのは、使う言葉の主語が「私」だから、と読んだことがある。彼らは私はこう思う、私はこう感じるの世界で生きている人たちだ。陶芸家を芸術家と呼ぶのか分からないけど、彼らは素の自分を世界に晒して生きている人、なのだと思う。そういう人が、世界との接点で紡ぐ、あるいは吐くから言葉こそ、鋭く重く深く響くのか。
 
翻って、コーチはどうだろう。
 
“経営”に関する経験値で言えば、明らかにクライアントの方が上だ。しかし、経験値の大事なのであれば、それはコーチではなく経営コンサルタントでいい。経験豊富な経営コンサルタントが時代の変化に合わせて自らの経験と言葉をアップデートさせ続けているのであれば、クライアントにとって素晴らしいアドバイザーになるだろう。
 
その一方で、コーチはアドバイザーではない。主にしていることは次の3つだ。
・聴く
・問う
・フィードバックする
 
3つの共通するのは、セッションでコーチが「感じること」がベースになっていること。「聴く」と「フィードバック」では気づきと共感、「問う」と「フィードバック」ではモヤモヤ、違和感だ。
 
私が聴く、私が問う、私がフィードバックする。いずれも、コーチが経験してきた人生、社会、キャリア、生き方によって培われた感性が下支えしている。感じていることを深めた先でつかみ取られたものが、それぞれの形で表現されているだけだ。
 
では、その感性をどう磨くのか。それは、自分のストーリーをしっかり生きることだろう。樂氏のように。時々で感じる違和感から逃げないこと。しっかり向き合うこと。その経験を積み重ねていくこと。時には、そんな自分から離れること。そのプロセスの中で降り積もったものが感性の糧になる。
 
セッションでは、感性のベクトルを常にクライアントと「私」に同時に向ける。コーチも芸術家のように、「私は何を感じているのか」の感覚を大事にする。そういう意味では、コーチも組織のダイナミズムとは無縁の、独立した個人であった方がよいのかもしれない。